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新年号(元号)が発表されましたね。(前編)

新年号(元号)が発表されましたね。

「令和」だそうです。

このブログのテーマ的には、由来の梅の花のくだりに注目すべきかなと思いましたが、個人的な発表直後に思ったのは「世間は桜の季節なのに何故梅?そして5月はさらに梅の雰囲気では無くなるのになぁ」ってことでした。

 

それはともかく、安倍首相の談話にて引用もとの歌とこの年号に込めた思いが話されましたね。

「~厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました。(一部抜粋)」

 

とのことですが、今の日本はやはり厳しい寒さの中にあるのでしょうかね。

 

それは、ともかく世間には今日から新元号だと思ってらっしゃる方が少なからず居らっしゃるようですね。

まぁ、マスコミの今日の年号発表の報じ方を見るとそんな勘違いをしてしまうのかなと思わなくも無いですが…。

 

折角なので、そもそも、元号(年号)とは何ぞや、というお話をしたいと思います。

特に練ったものでも無いので(いつもそうですが…)読み難いとは存じますが、ご容赦頂ければ幸甚です。

(この記事に関しては、自分の勉強の為にも機会があれば見直して整理したいと思います)

 

さて、元号(年号)というのは何かというと、年の数え方(紀年法)のひとつです。

よく言われているのは、年号を使用しているのは日本だけだという事ですが、他の国は「紀元」を使用しています。2019年というあれですね。

 

紀元には共通紀元だけでなく様々な種類があります。

 

キリスト教圏ではイエス・キリストの誕生を紀元とした西暦

イスラム教権ではムハンマドの聖遷を紀元としたイスラム暦

仏教国では釈迦の入滅をもとにした紀元を採用していたり、インドではサカ紀元というものが使われていたりします。

最近の紀元だとコンピューターの時間の初期値である1970/01/01なんかも紀元ですね。

日本の紀元ですと皇紀(神武紀元)があり、今年は皇紀2679年です。

このように夫々の国が、夫々の文化である出来事を基にして数えるのが紀元です。

 

では、年号とは何でしょう?

年号というのは時の君主が定めた時の数え方で、その時代時代で数え直されてきたものです。

 

我が国の歴史としては、倭国の時代には中国の諸王朝から有名な邪馬台国をはじめ多くの国が中国の皇帝より王の称号を受けていました。

正確にはわかりませんが、この頃は中国の皇帝の定めた年号の影響下にあったものと思います。

 

そして、聖徳太子の時代、有名な、「日出處天子」(日出ずるところの天子)というものですが、ここで初めて日本の天皇が皇帝と同じ位であると主張され、西暦645年の大化の改新では「大化」という年号が使用されました。

そしてその後、年号は天皇のご即位や時代の大きな出来事の度に変更され、平成までに247種類の年号があります。

南北朝時代の捉え方により若干の違いがありますが…)

 

そして、明治以降は一世一元の制が出され大正、昭和、平成と天皇陛下が御即位される度に新しい元号となっています。

 

よく、元号を廃止して西暦のみにするべきだという主張が行なわれますが、これは言い換えれば日本の文化、歴史を捨てろという主張なんですね。

日本のキリスト教化を臨む国からすればキリスト教暦にさせたいし

辛亥革命以後年号を廃止した国にとっては自国の歴史以上に古くからの歴史を残す国が目障りですし

とりあえず、日本の日本らしさは全て無いほうが良いと思っている方々も少なからず日本人の顔をして日本にいるようです。

 

新年号(元号)の発表とともに、少しでも日本人が自国の歴史について学び、日本の良さに気がついて頂ける機会となることを期待します。

 

少々長くなったので残りは後日。